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とある少年の物語






「とある少年の物語」





これは、とある少年の物語である。




1992年、ヴェネト州のモンテッキオ・マッジョーレ。

イタリアの北東部に位置する、のどかな町である。

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少年は17歳。

あまりにも短気で、感情的であった少年だが、ごく普通の少年である。


とある日、少年の友人が彼を誘った。

「すぐそこで講習会があるから行こうぜ」

少年はあまり乗り気ではなかったが、暇を持て余していたため、行ってみることにした。

カルチョの、審判の講習会であった。

乗り気ではなかった少年だが、その講習会で衝撃を受けた。




少年は急いで家に帰り、母親にこう叫んだ。

「聞いてくれ!」

「俺も16年でセリエAだぜ!!」


母親は息子の頭がおかしくなったのかと思った。


しかし、少年は自分も16年後にはセリエAの舞台に立てると思い込んで疑わなかった。







ところが、彼の努力は、着々と夢に向かって彼を歩ませていた。

セリエD、セリエC、そしてセリエB。





2005年、その少年は30歳となっていた。

彼は悩んでいた。

ここまで順調にステップアップしてきたが、中々セリエAには上がれない。

また、彼に対する罵声は日に日に増していった。

彼は、非常に短気で感情的。

そのレフェリングも、彼の性格が大いに表れていた。

「ピッチに立つと人格が変わってしまうのです。執拗な抗議をした選手や汚いファールを犯した選手を徹底してマークしていました。
『ちょっと神経質すぎる。もっとリラックスしていこう』と言われたこともあります。」

「マークをするとは、後を追いかける、文字通り”マーク”します。試合を通して危険なプレーをする選手を記憶するんです。自分は記憶力が良いのでそれ以前の試合での行為も覚えています。『あなたは前回も行き過ぎた口調で抗議しましたよね』と。こういった感じで…」

「選手をブラックリストに入れることもあります。恫喝するような態度で若い審判に抗議しているスター選手をテレビで見かけて、我を忘れそうになったこともあります。自分が担当する試合になった時、その選手に『あの時のような態度なら、試合終了までピッチにいられないぞ』と言ってやりました。正直、やり過ぎだったと思います。」




彼に対する罵声は、彼の家族をも傷つけた。

母親はその罵声に耐えかねて、彼の試合を観戦することは辞めた。

また、彼の妻とその子供も、中々観戦には来なくなった。

自分の息子、夫、父親が絶えず罵倒されている姿を見ることに耐えるには、彼に対する批判は厳しすぎた。



彼は辞めることも真剣に考えていた。

中々セリエAには上がれず、罵倒される日々。

彼は疲れ切っていた。





しかし、ある男との出会いが彼を勇気づけた。

伝説の審判、ピエルルイジ・コッリーナである。

その出会いは、コヴェルチャーノ(フィレンツェにあるイタリアのトレーニングセンター。イタリア代表もここで練習する。)での講習会であった。

「審判にとっては伝説的存在でマエストロと呼ぶに相応しい人物」であるコッリーナ。

「決定的なシーンを見逃すかもしれないから、ロスタイムの間は時計を見るな。時間の経過は第四審判から聞け」

コッリーナの教えの一部である。

伝説的な審判との出会いにより、彼は再び歩みだした。

そして、翌年、見事に昇格試験に合格。

カルチョスキャンダルの影響もあり、彼は夢の舞台、セリエAで笛を吹く栄光にたどり着いた。

少年、31歳。








しかし、セリエAに昇格したは良いが、その道のりも困難なものだった。

根本的な性格は変わるものではなく、彼のレフェリングは短気であり、感情的なものだった。

特定の個人への執拗な「マーク」、感情的に出される退場宣言、選手に激怒する姿。

イタリアサッカー界全体としても、カルチョスキャンダルに揺れ、それによる実力がない若手審判の登用により、イタリアの審判達はかつてないほどに激しい罵声を浴び、批判の的となっていた。

彼も今まで以上に罵倒された。

観客からは激しい罵声を浴び、選手からは猛抗議され、試合の後には一日中、いや一週間丸々TVで批判され続けた。

「3mしか離れていないファールも見えないのか」

「彼は審判の器じゃない」

「早く辞めろ」

「イタリアの恥」

「協会は若造を起用しすぎだ」








しかし、彼の人生は再び「伝説の男」によって大きく一変する。

審判委員長に就任したコッリーナに信頼され、彼はビッグゲームを任され始めた。

「若造だと批判がある私で良いのですか?」

「今のイタリアを変えられるのは、君たち若手だ。私は何があろうと君たちを信じるよ。」

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彼は、今までの態度を改めた。

ミスがあればミスを潔く認める。

感情的にならない。

選手ともしっかり会話をする。

選手に対して尊敬の念を抱く。



全て、コッリーナの信頼に応えたいから。

「若造」を信頼してくれた彼のために。







「ここ数年は幸運なことに、以前より寛大な心を持つようになれました。」

「なぜ選手に敬語を使うか?これは尊敬の問題です。選手に対して同じように敬語で話すように要求はしませんけどね。私にとっては超一流のスター選手もデビューしたばかりの新人選手も同じです。同じピッチに立っている選手に対しては平等に敬語を使っています。」

「当初はトッティとデ・ロッシが『なぜ敬語を使っているのか』と不思議そうにしていましたが、最近はもう慣れてしまったようです。」




ここ数年はイタリア有数の審判になり、ビッグゲームも任されるようになった彼。

しかし、批判がなくなったわけではないし、なくなるわけがない。




カターニャ対インテル。

彼は、カターニャにPKを与えた。

しかし、それは完全に誤審で、インテルGKカステラッツィは全く選手に接触していなかった。



試合中は何も言われなかったが、後々のリプレイ映像で発覚。

TVで批判の的となり、彼には数多くの罵声が浴びせられた。

毎日、毎日、毎日、そのリプレイ映像は流れ、彼は街中にすら出れない。

家族も罵倒された。

いわれのない罵詈雑言も浴び、彼は心身ともに弱り切った。

彼には居場所がなかった。





しかし、数日後、彼はある会見を見かけることとなった。

その試合の当事者であり被害者、インテルの監督(当時)であるクラウディオ・ラニエリとキャプテンのハビエル・サネッティの会見である。






サネッティ「人間の目だけで判断すれば、自分たちでも同じ判定を下すはず」


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ラニエリ「自分が審判だったら、同じ判定を下していただろう」


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彼の目の前は何も見えなくなった。

零れ落ちるものを拭おうともしなかった。



あり得ない光景であった。

監督は審判を批判することが当たり前のサッカー界。

沈黙はあれども、誤審の被害者側が審判を庇うことなどほぼ無いに等しい。

そんな中での、屈指の人格者である彼らならではのコメントである。










あまりにも短気で、感情的なただの「若造」だった彼。

夢の舞台であったセリエAに立つことを本当に成し遂げ、ついには超一流の審判となった。

厳格な態度は残しながらも、真摯に向き合い、選手も尊重するようになった。








ダニエレ・オルサート、現在セリエAで最高の評価を受けている審判である。



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サネッティ「オルサート、さっきの笛は違ったよ」

オルサート「そうだったね」







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2014/07/06 19:55 | コラムCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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